第5章『映画からテレビ時代へ』

時代劇に陰りが見え始めたのは、昭和38・9年ごろだろうか。東映も、映画の制作本数を次第に 減らし始めていた。その原因のひとつに、テレビの普及があった。また、旅行やボーリングを楽しむ人々が増え 映画を楽しむ人々が減少したのだ。
昭和40年、東映映画は任侠路線へとすっかり変わっていた。鶴田浩二と『博徒』などの作品で 共演をするが、里見は、自分が任侠映画には合わないと、悩んだ時期でもあった。 「どうも自分らしくない。」里見はそんな気持ちで、やくざ映画に魅力を感じられないまま、 30歳という年齢を迎えた。
そんな時、私生活で大きな転機を迎える、一度目の結婚である。圭亮という長男にも恵まれ、 幸せな結婚生活が続いているように思われた。 昭和45年には芸名の「浩太」 を「浩太」と改名。里見の人柄を現すべく、「朗」と言う字は 役者人生においては、新たな人気を呼ぶきっかけとなっていく。テレビ出演が次々と決まり、 中でも『水戸黄門』の助さん役は、「里見浩太朗」人気を不動のものにした。 が、『大江戸捜査網』撮影と重なる日々が続き、東京と京都を行ったり来たり・・・。 とても、家族サービスをする暇がなかった。 仕事が順調に進めば進むほど、夫婦の溝は深くなり、ついに離婚という結果になる。 しかし翌年には、新しいパートナーを見つけ再婚する。一体どういうことか・・・。 その真相を探る為、各芸能週刊誌はいろいろと書き立てるが、 結果的に人生はよい方向へと進んでゆく。
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