第1章『富士山を父と仰いで』

 『いつだったか、母がポツリと話してくれたことがある。 「おまえが、お父さんから私の身体に入った日のことははっきり覚えているよ」』
その日とは、昭和11年2月25日。世にいう二・二六事件の前夜である。
そして、昭和11年11月28日、東京渋谷の道玄坂の産院で産声をあげた男の子がいた。 『佐野邦俊』そう、のちの『里見浩太朗』の誕生である。
憲兵だった、父親は25日に久しぶりに帰宅し、また、すぐに隊に詰め切り の日々であったというから、間違いないようである。
その父親も、邦俊の生後まもなく日中戦争で戦死してしまう。
その後一家は、静岡県富士宮市へ疎開する。そして、さらに、松野村へと 住まいを移すことになる。
『富士宮では紺の半ズボンに白いシャツ、黒の長いソックスに金具のついている 革靴、背中にはランドセルというのがぼくの登校するときの格好だった。』
どうやらこの格好が、松野村での生活でいじめに悩まされる原因となったようである。 邦俊はすぐにこの格好をやめ素足にワラ草履で登校した。
中学では、テニス部に所属し、県大会まで出場する程の腕前だったが、たばこを吸ったり、家出をしたりと、かなり不良少年(自称)だったようである。
高校では肩をいため、音楽部に入部した。そこで、邦俊はバリトンをふいていた。(このバリトンはいまでも富士宮北高校に飾られているそうである)
そして、卒業まじか、運命を変えたともいえる出来事がおこる。「NHKのど自慢」の出場である。 「山のけむり」を歌った邦俊は、見事合格。邦俊に歌手としての夢が芽生えはじめたのである。
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