

| 【前 編】・・・・・『君、怒りもて 往生を遂ぐ』 | |
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元禄十四年山岳十四日。京都からの勅使参向に対する饗応役を勤めていた、播州赤穂五万石の 城主、浅野内匠頭が、高家筆頭の吉良上野介に江戸城松の廊下で刃傷した。 ときの将軍綱吉は幕府創立以来の喧嘩両成敗の鉄則を無視して、 浅野内匠頭は田村右京太夫の屋敷に於いて 即日切腹、吉良上野介はお構いなしの不公平な処置をとった。 十九日、この知らせが赤穂の城代家老、大石内蔵助に届いた。 不公平なご政道を糾すため何をなすべきか。 大石は、藩政の後始末をし血気にはやる家臣達を押さえ、城を幕府に明け渡した。 家臣達は各々の道に発っていき、大石一家は京都の山科に居を構えた。 そして、お家再興を第一に考えその結論を待つ大石は、 仇討ちの決意の本心を隠すため、祇園などで遊び呆ける日々を送っていた。 大石が本心を明かしたのは内匠頭の弟大学の処分の報が届いたときだった。 以前書いた誓紙を同志に一度返し、どうしても受け取らぬ者だけに、 仇討ちが決定したことを伝えるように、大高源五に命じ、自らは妻を実家に帰した。 |
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| 【後 編】・・・・・『我、一死もて 大儀に生く』 | |
長男主税だけを連れて山科を後にした大石は、垣見五郎兵衛を装い江戸へ向かう。 しかし道中、本人と鉢合わせしてしまう。事情を察した垣見五郎兵衛は、 大石一行を見逃す。 大石は、討ち入りを前に内匠頭の妻瑶泉院を訪ねた。しかし、吉良の密偵が忍び込んでいることを 察し、討ち入りについては口にせず、連判状を仏前に供え、去ったのだった。 そして、討ち入り当日がやって来た・・・。 |